津久井ヶ丘幼稚園

神奈川県, 日本
写真 © 矢野紀行
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写真 © Toshiyuki Yano
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建築家
中佐昭夫/ ナフ・アーキテクト&デザイン
場所
Sagamihara City, 神奈川県, 日本
2022

1979年に開園したこの幼稚園は、相模原市津久井地区の高台にある。これまで多くの園児たちを迎え入れて地域に親しまれてきたが、増改築や老朽化で様々な不具合が生じていたこともあり、将来を見据えて建て替えることになった。

津久井地区は相模原市の中で最も面積が広く、幾つもの川や湖があり、山に囲まれていて人口密度は低い。多くの園児が送迎バスを利用しているというので、試しにそのルートを車で走ってみたが、1時間程度ではまったく回り切れない広さだ。中には待合場所で待っている1人の園児を乗せるためだけに設定されているルートもあり、それは・・・と思ったが、遊ぼうにも家同士が離れすぎていて会えない友達に、幼稚園に行けばたくさん会えるということで、多くの園児がバス送迎を熱望していると聞いて腑に落ちた。

開園して40年以上経ち、卒園児は約8000人で、その家族を含めると関係者は2万人を超えているのではないだろうか。津久井地区の人口が約2万6千人であることを考えると、そこに占める割合は相当なものになると想像できた。

ちなみに幼稚園でフリーマーケットや運動会などのイベントがある時には、それを楽しみにしている関係者が遠方からでもやってきて、随分な賑わいになるとのこと。成長した卒園児が保護者になって自身の子供を通わせることも多く、保育士の先生が卒園児という場合もある。つまり津久井ヶ丘幼稚園に通うということ自体が地域のコミュニティ形成と一体化しているような側面があり、通園先の選択肢が多様化している都心の場合とはかなり違う状況であることがわかった。

相模原市津久井地区の人口は2000年頃をピークに減少が続いており、当然これから少子化も進んでゆく。これまで津久井ヶ丘幼稚園の場合は自然に「人が集まってくる」ことが前提になっていたが、少子化の時代においては、これまで以上に「人が集まりやすくする」ための工夫が必要だった。

したがって前面道路側に長い車寄せを設けて、道の駅のように2ヶ所の出入口から通り抜けができるようにしてアクセス性を上げた。複数の送迎バスがここに横付けして園児たちが乗り降りするのに十分な長さとし、脇を車が通り抜けできるように前面道路から6mセットバックさせている。竣工後はイベント時にキッチンカーが来てテーブルや椅子を広げたり、ごみ収集車を招いて社会勉強をしたり、さっそく様々な使い方が試みられていて、ここは「前庭」と呼ばれている。

以前に建っていた旧園舎は、前を車で通過すると連続する三角屋根が緩やかなカーブに沿って流れるように見えてくるのが印象的だった。新園舎では車寄せの屋根の先端をつまみ上げるように高くして、近づくと真っ先にそれが見えてくるようにしている。屋根の下に大型の車両が入る高さを確保するためでもあるが、前面道路に沿って印象的な屋根を備えるという点では旧園舎からの継承を意識している。

前面道路は地域交通の幹線で多くの車やバイクが行き来しているが、近年は東にできた相模原インターチェンジからやってきて行楽地の宮ヶ瀬湖に向かうなど、外来者の割合が増えている。同じく東にある橋本にリニア中央新幹線の新駅ができれば、交通量はさらに増すだろう。屋根の先端はその東に向けて伸ばしてあり、これから増えてゆく人の流れに対する視認性を上げられればと考えた。

新園舎は前面道路に沿って間口が広いこともあって、ホール棟と教室棟に分割し、その間を通り抜けて裏側に出られる配置としている。裏側と言ってもそちらが南側で日当たりがよく、周囲の山々への眺望がすばらしい。日々の外遊びはもちろんのこと、家族や関係者を招いて運動会ができる広さがあり、こちらは「園庭」と呼ばれている。

津久井ヶ丘幼稚園は長年に渡って鼓笛に取り組んでいて、ホール棟はその練習場を兼ねている。教室棟と分割することで音の干渉を減らすと同時に、ホールを単独で外部のイベントに貸し出せば、地域の集会所として開放性も上げられるのではないかと考えた。

教室棟には、これまでの活動が継承できるように旧園舎とほぼ同じ面積の保育室を4部屋つくった。そしてその脇に幅の広い廊下のような「拡張スペース」を設けている。保育室の引き戸を全開すれば拡張スペースと一体化して面積が増やせるつくりになっていて、認定こども園の基準面積を念頭に置いた可変性を持たせている。

保育室の引き戸を閉めると拡張スペースは小さなホールのような空間になる。天井を高くして園児が遊べるロフトを設け、様々な製作物が展示できるように広い壁面を設けた。仮にホール棟を貸し出していたとしても、教室棟単独で一定規模のイベントができるような融通性を持たせている。

屋根勾配はやや緩めの2.5寸として最高高さを抑え、外壁は杉の羽目板張りとしたうえで腰壁の高さで仕上げを切り替えて、見た目のボリューム感の軽減を試みている。園児たちが触って汚れたりする腰下は横張りで定期的な塗り替えやメンテナンスを前提にした塗装とし、腰上は縦張りで塗り替え不要の塗装としている。屋内も同じ考え方で、腰下はラワン合板張り+塗装、腰上はクロス張りとしている。

建具はガラスを中残で分割し、腰下は曇りフィルムを貼って園児たちの気が散らないようにして、腰上は見通し確保のため透明なままにするなど、腰壁高さで機能の切り替えができるようにした。保育室のクロスは年齢ごとで柄の細かさを変化させ、フローリングはゾーンごとに目地や向きを変えている。大きなスケールから小さなスケールまで様々な切り替えや変化を与えることで、大人から子供まで、それぞれの興味や愛着につながればと考えた。

アクセス性・視認性・開放性によってこれまで以上に人が集まりやすい状況をつくり、可変性・融通性によって社会の変化に柔軟に対応できるようにすることで、人と建築との関わりが徐々に定着してゆく場になることを期待している。

建て替えという節目を経て、地域コミュニティと共に歩んできた幼稚園の歴史が、これからどのように書き加えられてゆくのか楽しみだ。

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